コンポジション・即興・コンクレート  
木村重信

アメリカ・コネチカット州のリッジフィールド市のアルドリッチ現代美術館で、1984年1月14日から5月6日まで「インターメディア・絵画と彫刻の間」という展覧会が催された。クリスト、R.ラウシェンバーグ、F.ステラなど約40人である。そのなかに「New Acquisitions of Emerging Artists」(抬頭する美術家たちの新しい収穫)というセクションがあり、金月炤子など8人が選ばれた。金月は『Modern Dancer』(1982)を出品した。この絵は油彩とコラージュを用いた“熱い抽象”で、迸るようなタッチとダイナミックな構図に特色がある。

金月は1973年にアメリカに渡り、ニューヨークのアート・スチューデント・リーグでL.マンソからコラージュを学んだ。同時に彼女はモダンダンサーたちに出会い、その躍動的な姿と日夜精進する熱意に打たれた。稽古場の張りつめた空気、納得するまで繰り返す旺盛な意欲、そしてふと見せる心の揺らぎ。そのようなダンサーたちの光と影をとらえようと、金月は鉛筆をはしらせた。そしてこれらのスケッチをもとにして多くのコラージュ・ペインティングを制作した。

例えば『Dancing』(1978)という幅4メートルに近い大作がある。ダンサーの躍動する身体は黒い紙のコラージュで、ダンサーをとりまく空気の振動は白・茶・黒などの絵具で描かれ、彼女のいう「マンハッタンの狂人たち」の特質が見事に表現されている。

今度の作品集は3部から成っている。ひとつは、上記のダンサーをモティーフにした「Dancing」シリーズで、1977~81年の作品が収録されている。残りのふたつは「Spiritual」(1980~2004)と「Soil」(2001~2)である。これらをわたしは音楽用語を借りて、「Dancing」をコンポジション、「Spiritual」を“即興”、「Soil」をコンクレートと呼びたいと思う。なぜなら「Dancing」は、ダンサーというモティーフを数多くのスケッチや習作にもとづいて徐々に結晶させたもので、あたかも音楽家が作曲するプロセスに似ているからである。したがって「Dancing」シリーズでは理性や意識が主導的である。

それにたいして、1990年代の作品を多く収める「Spiritual」シリーズは、心の動きをオートマティックにあらわしており、ピアノ独奏用の自由な形式を意味する即興曲にちなんで“即興”と名づけたい。例えば、無色透明の風に初夏の緑を感じる『Winds of Green』(1990)、青い空に飛翔して自由を謳歌する、『Flying, Faster, Free!』(1996)。妖精の住む月光の森の印象『Moon Night Forest』(2004)。だからこそ彼女にとっては神々は夜とともにあらわれ(『Gods together at Night』(1991)、河川とても神の啓示をうけるのである(『River of the Gods』1999)。

金月は上述のように1973年からアメリカに在住したが、1985年に帰国し大阪、神戸、京都での個展を中心に活躍している。帰国後、彼女の作風は以前の“コンポジション”から“即興”に変化し、より精神的になったが、21世紀に入ると“コンクレート”になる。つまり具体音をモンタージュして抽象的表現をおこなうミュージック・コンクレート的表現に傾く。そして自然界一わけても“土”につよく惹かれるようになる。

例えば「Soil」所載の作品はすべて実際の土が用いられている。彼女にとっての自然とは、棚田、秋野、地下水といった違いはあるものの、純粋に物理的な自然であり、場所や地質を具体的に思わせる“土”である。そのような土がアクリル(ときには木片やガーゼも)と混ぜあわせて塗られる。したがって作品の表現は粗野であり、また画面に限定された形がなく、砂や泥のように無限につながる。そして、その背後には自然は人間と別の存在ではなく、両者のあいだに断絶はないとする、彼女の確たる思考がひそんでいる。かくして彼女は土や砂の権利を復活させることによって、絵画の概念を変革したのである。

“コンポジション”→“即興”→“コンクレート”という、このような金月の作風変遷は、ある意味では現代美術の展開とも重なる。しかし彼女の場合、樹木の枝葉のように時代の風に揺れ動きつつも、その底には太い根、ないし幹が確固として存在する。それ自然にたいする軽虔な態度である。

つまり、自然が偉大なアレンジメントであるなら、そのなかにおける人間の営みはしょせんアレンジメントの域を出ないとする考えである。この考えは、阪神・淡路大震災で被災して以来、ますます強くなった。

(兵庫県立美術館長)

「こころの風景」としてのオブジェ  
木村重信

金月炤子「Box art」は、箱の中にさまざまなオブジェを詰めた作品である。

そもそもオブジェとは、シュジェに対する言葉で日常的概念では単なる物であり、哲学的には客体、物体である。このようなオブジェの概念が美術の歴史で顕著になったのは、立体派以後である。M.ラゴンはいう。「ルネサンス」の美術はなによりも人間中心の美学と結びついていた。そこでは神的なものでさえ、人体の美しさを発揮させるために取りあげられた。18世紀には、この栄光ある『個人』にかわって、歴史、風俗、さらには静物が中心になった。19世紀には、風景のために『人間』はほとんど消えてしまった。そして20世紀には、立体派の出現とともに、オブジェの勝利、さらにいえば純粋オブジェの勝利を目撃するようになった。

 立体派以前の美術ではシュジェが優先していた。したがってこのような作品に対しては「これは何をあらわしているか」と問うことができた。

つまり「もの」ではなくて、「こと」が問題であった。ところがシュジェよりもオブジェが優位する作品では、たとえ人物像でも、ひとつの「もの」としてとらえられる。さらにマテイエールの拡大によって、即物性が際立つようになる。

「こと」の表現は視覚的であり、「もの」の形成は触覚的である。触覚は「もの」そのものを感覚し、視覚は「もの」の表面を感覚する。触覚は物質と結びつく現実感覚であるのに対し、視覚は仮象を通して形式に結びつく。美術を静観の対象としてではなく、生の表出と考える金月が、視覚よりも触覚に、シュジェよりもオブジェに傾くのは、当然の成行きである。

金月の作品は、絵画でもオブジェ的である。それは作品の素材が表現意図に対して媒介的でなく、目的的であるからである。たとえば彼女のコラージュ・ペインティングは、特定の空間を「表現する」のではなく、「決定する」のであり、作品の表現方式ではなく、その存在方式が問題なのである。

したがって金月作品のリアリティは、彼女の外にある表現対象のリアリティではなく、作品そのものがリアリティである。G.アポリネールはそれを「創造されたリアリティ」と呼んだ。かくて彼女の作品は、それ自体がひとつの「もの」として存在する即日存在となり、その意味でオブジェなのである。

このようなオブジェを、十全に示すのが「Box art」である。金月は種々の箱に様々の物体を詰める。たとえば『とべない生きものたち』シリーズ(1992-5年)があり、鳥や蝶やトンボが封じこめられている。これらの作品には、自然破壊が急速に進んで動植物の生態系が乱され、人間にはねかえってきたことへの不安と、人間中心的な考え方に対する恐怖が盛られている。その意味で、これらは前述したラゴンの言葉の延長線上にある。

また、『女は自由をもてただろうか』というインスタレーションがある(1990-1年)。これは箱を重ねあわせて鉄の紐で結んだ作品だが、箱の中には砂に埋もれた赤子の産衣がある。ここには、女たちが母性を捨て、キャリアウーマンとして独立することが、真に自由を身にまとったことになるのか、という問いがひそんでいる。母としての金月にとっては、conceive(子を宿す)がまさしくconceive(想像する)であった。

しかし、奇妙なことに、これらの作品は風景画であると、金月はいう。もとよりラゴンのいう19世紀のそれではなく、「私のこころの風景である」。つまり、「いま自分が生きている問題想起が絡んでいる」わけである。

(LADSギャラリ~の個展によせて。2005年)。
そのことを端的に示すのは、『戦後50年』というインスタレーション(1995年)だろう。父と母の死(1991年と95年)を悼みつつ、両親が戦後50年間、戦場をはじめ各地を転々として運んだであろうトランクと行李に、ふたりの衣類を詰めて、重苦しい「時」を封入したのである。

金月炤子の「Box art」のはらむ問題は、重かつ大である。

(美術評論家)